色んな角度で蹴ってみる  ~白黒と青赤のある日常~





ユベントスとFC東京を中心とした雑感やら (2012年9月からTwitterをメインに)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント(-)

07欧州旅行 ~中欧3ヶ国の旅~ vol.8

オランダ、ベルギーはまたの機会にという事で、ただ漠然とスイスには行きたいという愛方。
ロシアのサンクトペテルブルク行きを諦め、チェコのプラハだけは譲れないという俺。
双方の意向を考慮して、計画を企て(てか、90%は俺が。笑)、間にあるオーストリアのウィーンにも寄り、
6年連続進出を果たしたCL決勝旅行を卒業して中欧の3ヶ国を旅行する事となった07年。
最後に“完オチ”が待っていたことなど予想もせずに、今年もまたヨーロッパの初夏を満喫してきた。


第8弾 CESKA REPUBLIKA Praha  part2 】

中世の街並みが残り「建築博物館の都」と形容されるプラハ。11世紀のロマネスク様式に始まり、
ゴシック、ルネサンス、バロック、アールヌーボー、アールデコなど多種多彩な建築様式が混在している。

 その中でも斬新なデザインで異彩を放っているのが、ダンシング・ビルこと
 「ナショナル・ネーデルランデン・ビル(Nationale Nederlanden Building)」。
 別名「ジンジャー&フレッド」(ハリウッドで活躍したダンスの名手、
 ジンジャー・ロジャースとフレッド・アステア)と呼ばれるこのビルは、
 1992~96年にヴラジーミル・ミルニッチとフランク・ゲーリーによって造られたそう。
 プラハの街にあって、時折目にする個性的な建物の中でも、このビルはとても躍動的。

イラースク橋(Jirasku Most)のたもとにある、その男女が踊っているかのようなビルは、
普段の俺からすると景観を損ねているだの何だのと文句を付けそうなものなんだけど、
ヴルタヴァ川沿いにあり、道の角に建ち、丸みを帯びさせた外観であるところから、
妙に風景の一部として溶け込んでいる印象を受けてしまう(笑)。
プラハの魅力を表わすものの一つとして、遊びもあり、十分に楽しむ事が出来た。

また、斬新という意味合いでは地下鉄の駅も非常に鮮やかで個性を感じた。
プラハの地下鉄はA、B、Cの3路線があり、それら全ての駅がというワケではないけれど、
ユニークなデザインの壁はアート感がたっぷり!
 ※ 地下鉄駅エスカレーターは日本と比べて恐ろしく速い!
   乗り降りの際は気を付けるべし! てか高齢者には優しくないだろ~よ。
そして国際列車が発着するプラハ最大の駅、プラハ中央駅(Praha Hlavni Nadrazi)の
構内照明は非常にきらびやかで、カフェのアーチ型天井は教会の天井かと錯覚するくらい華麗だった。
           






この他にもチェコ・プラハが発祥の中心地となった「キュビズム(cubisme)」と呼ばれる建築物がある。
窓の周りや軒下に鉱物の結晶のような多面立方体の装飾が施されているのが特徴の建物群らしい。
キュビズム美術館も含めて、そこまで観て回るほど時間が作れずに残念だったけれど、
新感覚のデザインが生まれる土壌があって、それを受け入れる懐の深さを持ち合わせていて、
中世の街並みにアジャストさせてしまう力があるプラハという街に、俺ぁ~アッサリと惚れてしまったのだよ。
まだ、街のメインどころやシンボルを味わう前だというのに・・・。






プラハの街はヴルタヴァ川を挟み、プラハ城を中心とした左岸と、旧市街・新市街が広がる右岸に分けられる。
街のシンボルであるプラハ城とその周辺を後にとっておき、まずは右岸の散策から開始した。


 旧市街内にあり、ヴルタヴァ川に架かるチェフ橋(Cechuv most)から
 旧市街広場へと延びるパジーシュスカー通り(Parizska)界隈に広がるユダヤ人地区(Josefov)。
 ここにはシナゴーグ(ユダヤ教の宗教生活の中心であり、聖書の朗読と解説を行う会堂)や
 役所などが残っており、それらの施設の一部がユダヤの歴史と文化、伝統や風習などを
 伝える資料館として公開され、現在も忘れないために、訪れた人々に
 当時の悲しい歴史を物語っている。

中には強制収容所に送られた子供たちが描いた絵が展示されていたり、第二次世界大戦中に
ナチスに殺害された犠牲者の名前が、壁一面に、それこそ隙間が無くなるほどに記されていたり、
10万人が埋葬されたといわれている墓地に1万2千もの墓石が重なるといわれている墓地があったり、
現在も使用されている欧州最古のシナゴーグである新旧シナゴーグ(Staronova Syanagoga)があったり・・・。

パリでもユダヤ人街にあるシナゴーグを見に行った事があるけれど、資料館としてしっかり見学したのはここが始めて。
日出る国の島国人間からすると、亡国の民として多くの差別や迫害を受け続けてきたユダヤ人が、キリスト教が生活する
ヨーロッパでどのような扱いを受けていたか、どのような利害関係があったかなど、実際には判り得ないし、
ピンと来ない部分もあるけれど、歴史的な問題から今にまで至る問題や紛争などが、良し悪しとは異なる面で、
現実性を帯びて迫ってくる感じがした。何か上手く表現できないが・・・。
             










旧市街を一旦飛ばし、旧市街を取り囲むように広がっている新市街(ノヴェー・ムニェスト:Nove Mesto)へ。
新市街といっても歴史は古く、14世紀カレル1世(後の神聖ローマ帝国皇帝カール4世)の時代に始まり、
19世紀には現在の街の原型ができあがっていたとの事。
その新市街の中心となっているのが、国立博物館(Narodni Muzeum)の前からムーステク(Mustek)まで延びている、
長さ750m、幅60mの長細い、ヴァーツラフ広場(Vaclavske namesti)。
新市街が形成された時の馬市場跡に造られた広場で、現在はホテルやデパートが並ぶプラハ随一の繁華街。
中央部分が緑地になっており、その両側が車道、更に外側が並木の歩道という構造で、
どちらかというと広場というよりも大通りと言った方がしっくりくるような気がするが・・・。

聖ヴァーツラフの騎馬像に見守られ、地元民や旅行客が憩う平和な風景が広がるヴァーツラフ広場だけれど、
ここはプラハの、いやチェコの波乱の歴史を見つめてきた広場でもあるそうな。
第一次大戦後にチェコ・スロバキアとしての独立を支持する大規模なデモ行進が行われ、
1968年には「プラハの春」と呼ばれる自由化運動が、ワルシャワ条約機構の軍事介入によって
鎮圧された(チェコ事件)。広場は旧ソ連軍の戦車で溢れていたという。
その翌年、ヤン・パラフという学生がソ連の侵攻および占領に抗議して、その広場で焼身自殺するという事件も起こった。
1989年、東欧の民主化の流れの中、共産党政権の崩壊に至る無血革命の「ビロード革命」が起きた際には、
数十万人もの市民がこの広場を埋め尽くしたと言われている。
チェコ・プラハが現在に至る歴史の節目に、この広場は様々な記憶を刻んできたんだな~と。
それらを想像できないほど、和やかな広場なんだけどね。
     







さて、いよいよ俺にとってメインの始まりとなる、旧市街(スタレー・ムニェスト:Stare Mesto)へ。

 旧市街最東端の地下鉄ナームニェスティ・リパブリキ(Namesti Republiky)駅から
 地上に上がると、いきなり華麗なアールヌーボー様式の市民会館(Obecni dum)が
 目に飛び込んでくる。中には入らなかったけれど、外観だけでも非常に美しく、
 ついつい見とれてしまう。プラハ市民が誇る文化施設と言われているらしいけれど、
 外の姿を見せられただけでなぜか納得してしまう。
 ここのスメタナホールでオーケストラでも聴けたらな~~。

隣接している建物は火薬塔(Prasna brana)と呼ばれるゴシック様式の城門で、実際に火薬庫として使用されていた。
ここから旧市街広場を経由し、カレル橋を渡ってプラハ城へと延びる石畳の道は、かつて歴代の王たちが即位の折に
戴冠パレードを行ったということから“王の道”と呼ぶらしい。
その王の道を起点に、時折外れつつ、まずはカレル橋まで歩いてみる。

火薬塔から旧市街広場へ続くツェレトナー通り(Celetna ulice)にはボヘミアン・グラス、マリオネット、
そしてウジャウジャと圧巻の量で置いてあるマトリョーシカ(人形の中から小さい人形が何度も出てくる
ロシア系民芸品の入れ子の木製人形)の店が多く、観光客で賑わっている。
サッカー選手の物も多くあり、20年来のユーベ・ファンである俺がチェコに来たとあれば、当然の如くネドベドを探す。
すると、あった、すげ~似てないネドベドが!(笑) 中を開けるとデルピエロ、その中にはブッフォン、そしてトレゼゲ、
ビリンデッリ、ザネッティへと続く(笑) みんな似てねぇ~~!!(笑) ザネッティ小っさ! 1年目のクセしてここに
割って入るなんて、カモラネージはどこへいったよ!?(笑) 置物として、そしてネドベドとチェコへの敬意として
買おうとしたけれど、ちと高く、値段交渉してもあと一歩希望額まで下がらなかったので購入を断念・・・。
 ※ ちなみに横のミランはピルロ、インテルはクレスポが大外の人形を担当してたが、ぶっちゃけ同じ顔(笑)

石畳の道をそのまま進んでいくと右にティーン聖母教会(Matka Bozi pred Tynem)の尖塔が見え、
前方では一挙に視界が開けてくる。そこは人々が最も多い観光地、各時代や各様式の美しい建造物が
周りを囲んでいる旧市街広場(Staromestske namesti)。
宗教改革や民族運動など色々な事件の舞台となり、チェコの歴史が凝縮されている場所でもある。
左には旧市庁舎(Staromestska radnice)が高くそびえ、右端には聖ミクラーシュ教会(Kostel Sv.Mikulase)が美しく佇む。
そして広場中央にはチェコにおける宗教革命の先駆者で「チェコの誇り」的存在であるヤン・フスの銅像が・・・って!?
タイミングの悪いことに改修工事中なのね? う~~~ん、残念!!

毎正時になると鐘の音と共に12人の使徒が動き出す仕組みの「天文時計」が旧市庁舎の壁にあり、多くの人だかりが。
賑わう広場、素晴らしい装飾の時計にしてはあっけに取られるくらい地味ぃ~~な仕掛け・・・。
また旧市庁舎横の地面には、27個の白い十字架が描かれている。その十字架は、ハプスブルク軍と
ボヘミアのプロテスタント貴族との間で争われたビーラー・ホラ(Bila hora:白山)の戦いに敗れた際、
ボヘミアの指導者27名が斬首され、その首が置かれた場所だと言われている・・・。
一通り周囲の建物も見物してカレル橋方面へ。
           







やや細めの道だけれど人の多いカレル通り(Karlova)を進むと、旧市街タワーゲートが見えてくる。
そこをくぐると、もう目の前は活気に溢れるカレル橋!!

 せっかくなので直ぐには橋を渡らずにタワーゲートに登ってみる。
 そこから見たカレル橋とヴルタヴァ川、そして向こう岸の丘の頂に構えるプラハ城の
 光景は非常にスペクタクル!! プラハというとよくそのアングルからの映像だったり
 写真だったりを見る機会があったのだけれど、実際に自分の目でその位置から眺めると
 美し過ぎて絵に、いや写真にならないといった感じ。やや上手く撮れたと思っていたこの写真も
 ビックリするくらいショボイと感じるほど、生で見るその光景は幸せな気分にさせてくれる。

対岸やカレル橋ばかりではなく、旧市街側を眺めてみても、オレンジの屋根と教会の緑のドームが
太陽の光に映えて、古都の雰囲気を一層美しく演出してくれている。
細道を覆う影とのコントラストも色濃く表われて、ただひたすら、いいね~、プラハいいねぇ~と(笑)
自分のボキャブラリーの無さを思いっきり露呈してしまうほど、言葉にならない光景がそこにあった。
           







プラハで最も古い橋なカレル橋(Karluv most)はゴシック様式の石橋で、世界で最も美しい橋の一つと言われている。
全長516m、幅9.5m、合計16個の橋桁アーチに支えられているこの橋の両端には、先ほど登った
旧市街橋塔(Staromestska mostecka vez)と小地区橋塔(Malostranske mostecke veze)が建っている。
橋の欄干には、聖人および歴史上や聖書中の人物をモチーフにした30体彫刻群で装飾され、壮観さを演出している。
歩行者専用の橋の上では、音楽を奏でる人の周りに人だかりができ、立ち並ぶ絵や民芸品の露店が
行き交う人々の足を止める。所狭しと多くの観光客でごった返していた。

賑やかで活気のある橋と、その下を静かに流れるヴルタヴァ川、そして徐々に近づいてくるプラハ城。
贅沢なこの雰囲気の中でちょっとは優雅に歩けばいいのに、テンションが上がり、何度も行き来してしまう俺(笑)
活気という意味ではイスタンブールのガラタ橋にも強く感じたけれど、それと比べてこのカレル橋は、
壮大スケールな芸術作品として確立された印象を受ける。
そして橋というよりもプラハのメイン・ストリートといったところだろうか。う~ん、上手く表現できん!!

橋を渡り、小地区タワーゲートを潜り抜けると、もうそこはプラハ城のふもと。
地図で見るとそりゃ平面だけれども、ここから徐々に坂になっており、小地区(マラー・ストラナ:Mala Strana)にもある
聖ミクラーシュ教会(Kostel Sv.Mikulase)の横を通ると、そこからは一気に急勾配な坂になる。
レストランやカフェ、ショップが立ち並ぶネルドヴァ通り(Nerudova ulice)から回り込まず、登城道の階段通り
(ザーメツケー・スボディ通り、かな?:Zamecke schody)から登ってしまったので乳酸が溜まってきてしまった(笑)
           







 ヴルタヴァ川左岸でフラチャニ丘の上にあるプラハ城(Prazsky Hrad)は、
 城壁に囲まれた壮麗な建物で、9世紀の半ばに建築が始まると、
 幾多の変遷を経て14世紀に現在の偉容を整えたという。
 歴代ボヘミア国王や神聖ローマ皇帝の居城で、
 現在はチェコ共和国の大統領府兼大統領官邸になっている。
 長さは約570m、平均幅は約130mあり、「世界最古・最大級の城」と言われている。
  (ギネスブックにも載っているらしいが、他にも最古・最大級の城がありそうな気が・・・)

プラハ城観光のスタート地点であるフラチャニ広場(Hradcanske namesti)から眺めると、
城というよりは宮殿のような出で立ちで、門の両脇には衛兵が直立不動の姿勢で立ち、
正門の上には剣やこん棒をふりかざす巨大な石像がある。
そしてその奥には空を刺すような鋭い尖塔と、全体が細かい装飾で覆われたチェコを代表するゴシック建築の
聖ヴィート大聖堂(Katedrala Sv.Vita)が圧倒的な迫力で待ち構えている。1344年に神聖ローマの皇帝カレル4世が
建設に着手し、1929年に完成という、実に600年という恐ろしく長い年月をかけて作り上げられた壮大な大聖堂。
多様な建築様式が複合され、遠景から見ても美しく、屋根のモザイクや各彫刻など、目を楽しませてくれる。

腿やふくらはぎが軽~くキテるにもかかわらず、大聖堂の展望台からプラハを一望したいため、
ぶっちゃけ閉館時間が迫っているため、休む事なく狭い階段をひたすら登ってみる。

どの教会の例にも漏れず、細い螺旋階段を登って最上へ到達し、息切れ状態で見る景色の格別さったらないね!!
ジンワリと汗をかき、でも上空の風が気持ちよく体を通り抜け、見渡す限りにプラハの街が広がる ―。

赤茶色の屋根が密集し、教会の緑のドームが点在し、また「百塔の都」と呼ばれるだけあって尖塔が無数に見え、
その景色に視界を支配された俺は、呼吸を整える事も忘れて、ただただ心を奪われていく・・・。
ゆるやかに流れるヴルタヴァ川に幾つもの架かる橋、さっきまで歩いてきた王の道とカレル橋が
既に遠方にあるかのようで、でも存在は近くにあるかのようでいて・・・。
目下にはレンガ色のボヘミアで最も美しいロマネスク様式の傑作と評される聖イジー修道院(Klaster Sv.Jiri)、
その奥上の方にはスパルタ・プラハのホーム・スタジアム、トヨタ・アレーナ(レトナ・スタジアム)も見える。
先ほどまで息を切らしていた他の観光客も、その行程なんぞ忘れ、目を輝かせて風景を堪能しているのが判る。
皆がプラハの街に魅了され、一望する事に酔いしれて・・・。

あぁ、最高!!

聖ヴィート大聖堂内は全長124メートル、幅60メートルで、アルフォンス・ミュシャ(Alfons Mucha:チェコ語では「ムハ」)作の
「聖キリルと聖メトディウス」などのステンドグラスで聖堂内の空間的演出がなされている。
また、見れなかったけれど、「聖ヴァーツラフ礼拝堂」には聖遺物が保管され、壁の下半分は1300以上もの半貴石と
キリスト受難の絵で美しく飾られ、上半分は聖ヴァーツラフの生涯が描かれているらしい。
             







城内の敷地には旧王宮、宮殿、修道院、庭園の他、建物の一部を美術館や博物館にして開放してある。
全てを見回ってはいないけれど、幾つかの施設を見学した。
聖イジー修道院の奥、城の北東部にある色とりどりの小さな家が並んだ黄金の小路(Zlata ulicka)という路地は、
かつて金細工師たちが住んでいたことからそう呼ばれ、現在は武器、衣装の展示館や土産の店になっている。
チェコを代表する作家フランツ・カフカが創作活動に使用した家も残っており、建物の色が実にカラフルで、
おとぎ話の絵本から切り取ったかのような路並みだった。

余談だけど、チェコ・サッカー好きなら聞いた事があるだろう、ウルチカ・サッカー。
「プラハの細い石畳路地でも通せる緻密なパス」という意味のウルチカ(ulicka:小路)とは、
まさにこんな道の事を言うのか、と。96年からチェコサッカーに魅せられ続けている俺としては、
こんなところでも緻密にパスが繋げたら、そりゃ~たいしたもんだよ、と一人ニヤニヤしてしまった(笑)
  ※ 実際プラハの細い道は、これほどウルチカなところはあまり見なかった。石畳の高低差は凄いけれど。
    ウルチカ・サッカー支援者としては、小路の多さを期待していただけにちょっと残念・・・。
    観光経験で小路の規模を言うならば、イタリアのヴェネツィアの方が圧倒的に多く、更に細い。
    プラハはフィレンツェあたりとさほど変わりがないかな~、というのが正直なところ。
    まぁ石畳の高低が凄くなくとも、道が広くても緻密なパスサッカーはイタリア人には不可能だが・・・。
    とにかく緻密なパスを言い表すものとしてウルチカが使われていると思うので、突っ込んだもん負けって事で(笑)


更に奥、城の東端に立つ牢獄のために建てられた小さな塔、ダリボルカ塔(Daliborka)へも行ってみた。
地下に降りる階段があり、そこには処刑場が・・・。
体を固定する鉄の鎖が人型になって展示されており、その下には処刑された者を落とす井戸のような穴も。
拷問器具などもあり、かつての処刑法とはいえ、かなりリアルで好奇心よりも不気味さが勝ってしまった(笑)
           











東門から城外へ出て思ったのが、プラハ城は俺の中で想像していた城のイメージとは異なり、
大聖堂、修道院、そして王宮など、様々な建築様式が詰まった複合要塞であり、迷宮でもあった。
全部を網羅する時間がなく、ややすっ飛ばしてしまった場所もあれば、なぜそこに食い付く?と
言われそうな場所に魅力を感じて時間を費やしてしまったところも・・・。
       







カフェへ入ったり、休んだりする事なく、寄り道しながら歩き続けてしまった“王の道”とその界隈、
そして体を酷使して登ったプラハ城と大聖堂の展望台は、プラハ観光だけではなく、
今回の中欧の旅で行った場所を含めて、自分の中でハイライトと言えるようなものだった。

荘厳な絶景に息を飲み、即後に訪れる幸福感に包まれ、そこに身をよだねる・・・。

自分がそこで何を学び、それがその先の人生でどのような影響を及ぼし、還元されていくのかは判らんけど、
旅行という非日常の中で、その時々の体験や感性を刺激する事柄が楽しくて仕方がないんだよね~(笑)

キュビズム美術館(Muzeum Ceskeho Kubismu)にも、ストラホフ修道院(Strahovsky Klaster)にも足を運べなかった、
ベツレヘム礼拝堂(Betlemska Kaple)にも、ミュシャ(ムハ)美術館にも寄りたかった。
そしてせっかくのチェコだというのに、チェスキー・クルムロフ(Cesky Krumlov)観光を組み入れる事もできなかった。
心残りな事は幾多にも及ぶ。
けれどもプラハという街は、自分の価値観や基準に変化をもたらしてくれるような場所だった事は間違いないだろう。

旅行最終日を残した夜にして、そんな事を思いながら眠りについた。


スポンサーサイト
  1. 2007/07/18(水) 23:00:47|
  2. サッカー観戦旅行他|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0
<<07欧州旅行 ~中欧3ヶ国の旅~ vol.9 | ホーム | 「FC東京さまよりお届け物で~す」っとな>>

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://juvetokyo.blog3.fc2.com/tb.php/356-3e7e3ee2

TATSU


logo1.gif




04 | 2017/05 | 06
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -

Recent Entries

Recent Comments

Recent Trackbacks

Archives

Category

Official Links

FORZA白黒なLinks

青赤VAMOSなLinks

友人やらお気になLinks

動画やらLinks

FC東京関連Links

Search


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。