素人ながらに(と、こーゆーエクスキューズ用語で逃げるのは良くないが・・・)言うけれど、
絵画を色々と見ていると、○○派とか□□主義とかいうジャンル分けのような語句を
しばしば見たり聞いたりする。この絵は○○派とか、あの画家は□□主義とか。
そうやって分類された絵を結果ありきで捉えてみると、俺はどーやら “印象主義” なる
ジャンルの絵は、嫌いとは言わないまでも決して好きではないようだ。
(○○派だから、□□主義だから好き!というのもないけれど)
『睡蓮』、『ラ・ジャポネーズ』、『印象、日の出』などで世界的に有名なクロード・モネの絵には
興味をそそられた事はないし、エドガー・ドガの『エトワール、または舞台の踊り子』はイマイチだし、
カミーユ・コロー、アルフレッド・シスレー、カミーユ・ピサロ、ベルト・モリゾ、ポール・セザンヌ、
ポール・ゴーギャン、ファン・ゴッホなど後期印象主義と呼ばれている画家に至るまで、
さしたる感銘を覚えた事はない。
ファン・ゴッホは人生観とか人間味の部分では興味あるけれど、『ひまわり』や『自画像』が非常に
多く扱われ、露出が多いがゆえに、絵云々とは別の面で人気が先行されている感じがする。
有名だから好き!と、とりあえず知ってるってだけで好きって言っちゃう的なアレね。
これらの画家で共通して好きじゃない理由は、おそらくあの絵のタッチ具合だと思う。
技術そのものというよりは手法というか、あの滲んだような感じの類が自分の感性としてダメなんだな、きっと。
色彩感覚は受け入れ易いし、素晴らしと思うんだけど、誰のも同じようにみえて飽きてきちゃう。
その中ではルノワールだけはちょびっとだけ別かな。
『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』 は好きな絵だし、『舟遊びをする人たちの昼食』 もほんわかしていていい感じ。
まぁ、これらは他の印象主義ほど滲んでる感はないからなんだけどね。
でも、昨日から始まった Bunkamuraザ・ミュージアム での「ルノワール + ルノワール展」に
『舟遊びをする人たちの昼食』は出品されてなさそうなので、行こうかなリストから除外する(笑)。
オーギュストだけではなくジャンと共に、父の絵画と息子の映画に焦点を当てているというのは
面白そうな趣旨だけど、『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』、『ぶらんこ』、『田舎のダンス』なんかは
実際にパリのオルセー美術館で生モノをみているし、その他は特にお気に入りの作品は無いからね。
※ パリ生活時代に、アナログ一眼レフで撮ったものをスキャンしてUPしちゃったっけ!な写真。
オルセー美術館にルノワールの『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』、そしてムーラン・ド・ラ・ギャレット跡

んで、だ。
そんな好きではない “印象主義” の中で、例外に好きな画家が一人いる。
アンリ・ド・トゥルーズ=ロートレック (Henri de Toulouse-Lautrec) ―。(1864~1901)
厳密には後期印象主義らしいが、どのみち俺は同じジャンルとは捉えてないけれど・・・。

俺の
パリ短期アパルトマン生活はモンマルトル地区だった。
その100年以上も前、「ムーラン・ルージュ」をはじめとするダンス・ホール、
カフェ・コンセール(演芸喫茶)やキャバレーなど多くの娯楽施設、歓楽街として
栄えていた、同じモンマルトルに住み着き、歓楽の世界に生きる芸人たちや
娼婦など、ベル・エポックな人々の華やかな姿や悲哀を描き数々の傑作を残したロートレック。

その特別展が大阪、愛知と経てきて、よーやく東京での
開催となったので、行って来ましたとも。
『 ロートレック展 - パリ、美しき時代を生きて -』 @
東京ミッドタウン ガーデンサイド サントリー美術館(東京、六本木)
ロートレックはフランス南部のアルビの貴族の息子として生まれた。
生来の虚弱体質で遺伝性の骨格の病を患っており、10代の頃の転落事故で骨折したために
脚の発育が止まってしまった。上半身は正常に発育したものの、下半身は子供のままの状態で
大人になっていった。コンプレックスはきっとあっただろうけれど、非常にお洒落な感じだし、
風貌には特徴もあるし、絵を書かれるのも写真を撮られるのもまんざらではなかったのでは?と思う。
実際に彼の写真や他の画家による漫画っぽい絵も多く出展されていた。
入るとのっけから確かオルセー美術館で見た、『
黒いボアの女 』が展示してある。
本展の表紙にもなっているし、非常に際立った存在感を放ってる絵なんだよね~。
1889年、エッフェル塔が完成した同じ年、パリの歓楽街モンマルトルに、真っ赤な風車が出現。
華やかな衣装をまとった踊り子が歌い踊る高級ナイトクラブ「ムーラン・ルージュ(赤い風車)」。
それまでのモンマルトルは膨張し続けるパリの新興地として、当初は労働者階級の街だったけれど、
彼らを楽しませるためのカフェや劇場などの歓楽施設が増え始め、その魅力がやがてブルジョワを引き寄せ、
色々な階層の様々な人々が集うパリ最大の歓楽街へと成長していった。
ムーラン・ルージュに魅せられたロートレックは夜ごと店に通いつめ、軽快なステップを踏む踊り子の姿に
「生きる歓び」を見出し、それを絵で表現し、ポスター作家、版画作家として重要な一歩を踏み出した。
ロートレック初のポスターは 『
ムーラン・ルージュ ラ・グーリュ 』 という、誰もが何かで一度は見た事が
あるんじゃない?という有名なもの。間近でよく見るとそのポスターは数分割に分けて描かれ刷ってある。
モデルの踊り子ラ・グーリュ(「食いしん坊」の意)ことルイーズ・ヴェヴェールが豪快に足を上げて踊っている手前で、
軽快な身のこなしから「骨なしヴァランタン」と呼ばれたヴァランタン・デゾセがシルエットで描かれている。
ルノワールの描いた「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」と人気を二分するほど盛況を誇っていたダンス・ホール、
ムーラン・ルージュ経営者の依頼で作成されたそれが街に貼り出されるや、ロートレックの名声は一気に高まった。
また、日本の浮世絵から学んだ大胆な省略法(単純な線、数少ない色)を活かし、一躍時代の寵児に躍り出た。
男性客のシルエットといい照明といい、シンプルに描かれているんだけれど、ハッキリした強調性があって
非常に目を引く素晴らしい絵だと思う。
※ 老舗のムーラン・ド・ラ・ギャレットは、客自身が踊るダンス・ホールだったけれど、
ムーラン・ルージュはプロ芸人の踊りを見せるというショー的特色も強みなホールだった。
ちなみにラ・グーリュは足を高く上げ、孔雀の羽のようにスカートを広げ、躍動的に踊る事でも
人気があったけれど、時折見に来ている男どもをノーパンでノーサツしてたとか(笑)
また、彼のポスターといえば、『ディヴァン・ジャポネ』 と 『アンバサドゥール』 を挙げないワケにはいかないね。
好きな作品だけれども、実際に生モノで見るのは初めて。
『
ディヴァン・ジャポネ 』 は内装や給仕の服装などで、日本風を売りにしていたカフェ・コンセール、
「日本の長椅子」のポスター。中央に描かれている女性はジャヌ・アヴリルという踊り子。
この絵はステージで歌手が歌い、コントラバス?などの楽器や指揮者の腕が
シルエットとなって、それをステージの袖で聴いているという感じの絵なんだけれど、
何か含みがあるというか歌手の顔だけが描かれていない!
長手袋がトレードマークのイヴェット・ギルベールらしいけれど・・・(笑)
全体的にロートレックの絵を見ていて思うんだけど、被写体の女性の顔がどれもこれもブサイクなんすよ(笑)
各ポスターでモデルとなった女性の写真が一緒に展示されているんだけれど、皆決して顔立ちは悪くない。
個人的にタイプぢゃねぇ!というのは抜きにして(笑)、それなりに美しい女性なんだけど、絵では酷く歪んでいたり、
醜かったり、あるいはツンと高慢そうだったり。
『道化師シャ=ユ=カオ(シャユ踊り+カオスの意)』 とか 『ムーラン・ルージュに入るラ・グーリュ』 とか
体型から顔から実際の人と比べるとヒドイ(笑)
で、先のギルベールはロートレックに自分の絵を依頼したけれど、原案を見てあまりにブサイクに描かれているので却下し、
シャ・ノワール(黒猫)のポスターで有名なテオフィル=アレクサンドル・スタンランが描いた自分の絵を採用したんだと。
(ジュール・シュレの絵も悪くないと思うが、ネタ的には結局ロートレックのものがよろしいかと。笑)
『ディヴァン・ジャポネ』の完成が先だから、顔なしの理由がそれかどうかは謎だけれども、
ロートレックの描く女性芸人の顔は、彼にしか見えない内情の顔なのかもしれない・・・。
『エグランティーヌ嬢一座』という4人の踊り子の顔なんて、横の解説読むと納得しちゃうしね~(笑)
女性のそれとは対照的に男性はかっこよかったりダンディだったり、キマってる感が出てる。
『
アンバサドゥール 』 のアリスティド・ブリュアンは絵だけではなく、
実際の顔もイケているんだけれど、赤マフラーに黒帽子とコートという色面分割によるハッキリした構成で
迫力が出ててかっこいい!
元鉄道員の彼は破天荒なパフォーマンスで一世を風靡。隠語や下品な表現で客を罵り人気があり、
客はイジられにキャバレーへ通っていたらしい。彼はこの宣伝ポスターをアンバサドゥール側に却下された
らしいけれど、このロートレックが書いたポスターじゃなきゃ出演しねぇ!と採用させたらしい(笑)
ダンスホールの躍動的で華やかな絵の一方で、日常の側面というか生々しさが伝わってくるのが娼婦の絵。
セクシーな絵でもなければラブリーな絵でもなく(笑)、官能的なものでもなく、スカートを上げて性病検査を待つ
娼婦や、精根尽きてぐったりと仰向けになってる絵、着替える体型崩れの娼婦など・・・。
酒場や娼婦館に入り浸って観察し、その中からにじみ出てくる生活感や悲哀などが描かれている。
俺のアパルトマン生活では、窓からサクレクール教会が望める華やかなモンマルトル地区だったとはいえ、
実は貧困層の多い黒人街だったし、またどこの地区かは忘れたけれど夕方頃歩いていると、
幅広い年齢層の娼婦が立ち並び、男に声掛けしたり、娼婦同士でコンドームを配りあったり。
ムーラン・ルージュのあるクリシー通りなんかは風俗街と化していて、まぁド・ピンク丸出しですな(笑)
100年前とはだいぶ違うんだろーな。あ、余談だがエロチズム博物館は非常に面白いぞ!!
洗練されてて優雅なパリというイメージの中でも、そういった側面が必ず存在している。
ロートレックはデカダンな生活に陥って(むしろ自ら進んで?)若くして亡くなるのだけれど、
貴族の生まれ、身体障害者、画家という異色の混合っぷりと何かに対する反動が
魅力的な絵を描き出し、常人では持ち得ない感性を世に送り出していったんだろうな、きっと。
人生の明暗を幼い頃に思い知り、踊り子や娼婦などパリの夜に生きる孤独な魂を愛し、
いわば弱者に向けられたロートレックの温かい眼差しが絵に生きているんじゃないか、と。
上記に書いた絵は極々一部の感想ってだけであって、このロートレック展ではかなりの作品を見ることが出来た。
「ル・ミルリトン」、「ル・フィガロ」、「ル・リール」などの雑誌の表紙絵や挿絵も面白い絵ばかりの
リトグラフ(石版画)だったし、最後の方の色んな人の肖像画(油彩)はブサイク女性はいなかったし(笑)、
和物を着たロートレックの写真や、日本の浮世絵版画も展示されてたりと非常に楽しむことが出来た上に
多くの発見もあった。
『ムーラン・ルージュにて、踊り』 という、ヴァランタンが若い踊り子ラ・グーリュにダンスを教えている
絵が出展されていなかったのは残念だったけれど・・・。
展示の最後に、晩年の頃に描いたであろう 『犬と猫』 というリトグラフが、それまでのロートレックの
絵とは全く異なっていて非常に目を引いた。たいした作品じゃないんだろうけれど、とにかくウケる!!
他の美術展との違いを感じる今回のロートレック展の良さは、絵のエピソードがさりげな~く
ギンギラギンに紹介されているところ。関係者のロートレックに対する豊富な知識と性格把握、
ツッコミどころの多い作品への説明文センス(笑い系)が感じられて非常に面白い!!
まぁ、不幸にもこのエントリーにアクセスし、興味を持ってしまった人は是非見に行って欲しいな。
※ 同じくパリ生活時代に、アナログ一眼レフで撮ったものをスキャンしてUPしちゃったっけ!な写真。
ムーラン・ルージュの夜景カラー写真はデジカメで撮ったものをスキャンUP。

※ 「ロートレック展」
出品作品リスト(PDF) [ 自分用 ]
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- 2008/02/03(日) 14:49:53|
- 写真・絵・音楽|
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