
トルコのイスタンブール決戦に向けて、欧州チャンピオンズ・リーグ決勝旅行の
思い出をぽろぽろと綴ってみる。
ブログっぽくないけど、当時の現地での体験を。
【 第3弾 】2003年、欧州チャンピオンズ・リーグ旅行(イングランド、フランス)
マンチェスター → パリ with うるっち~
2003.5.28 マンチェスター(イングランド)
ミラン(イタリア) vs ユベントス(イタリア)
@ オールド・トラフォードチャンピオンズ・リーグ決勝旅行を始めて3年目にして、とてつもないビッグチャンスが訪れた ―。
ガキの頃、
プラティニのプレーを観て以来ファンになった
ユベントスを決勝の舞台で応援・観戦出来る。
なんて幸せな事だろう!決勝の舞台は、
“シアター・オブ・ドリームス”と言われるマンチェスター・ユナイテッドの本拠地、
“オールド・トラフォード”。
相手は同じイタリアのミラン。
マドリーをブッ倒して決勝進出を決めた直後から、今までにはない緊張感が自分を支配し始めてた。
決勝当日マンチェスターの中心街に行くと、当然の如く両チームのサポーターが!
白黒も赤黒も一緒になって騒いで盛り上がっている訳ではないが、それぞれが歌いながら士気を挙げている。
この雰囲気だよ、たまんね~~~!!セリエでこのカードの対戦だと、時々サポーター同士がもめるという話を聞くが、この日はそういった場面に出くわす事もなく、
ホテルから
ユーベのユニフォームを着た俺に絡んでくるミラニスタはいなかった。
ただ、“その時だけ”のミーハー心でミランのユニフォームを着たアホな同行者(うるっち~)がいたため、
メディアや現地にいる人々に取材やら写真撮影を求められる。
ユーベとミランのユニフォームをまとった日本人がイングランドのマンチェスターでイタリア対決を観戦するという事が、
当地の人間にとってどれほど違和感を覚えさせたのかは知る由もない(笑)
俺が15年以上も
ユーベを応援しているなんて事も決して判るまい(笑)
前夜の観光も含めての感想だけど、マンチェスターの街は思っていたよりもはるかに小規模だった。
近代的で新しい建物がたくさんあり、これからどんどん活性化していきそうな感じがしたけれど、
所々に昔ながらのレンガ造りの建物もあり、風情を感じさせてくれる部分は残っていて欲しいな。

メトロリンク(トラム:路面電車)に乗ってスタジアムへ向かう。最寄のオールド・トラフォード駅からスタジアムへは1本道。
あの、
“サー・マット・バスビー・ウェイ”には両サポーターを含め、観戦に訪れた人々でごった返しており、
その先には
“夢の劇場”が!ピッチの上空にあたるだろうという位置にはたくさんのチャンピオンズ・リーグ仕様ボールのバルーンが見える。
心拍数が上がっていくのが判る。
「来ちゃったよ~、ヤベーよ!」おそらくそればっかり言ってた気がする。
スタジアム内へ入る時、チケット・チェックが厳しい。
ある部分を塗りつぶし、隠れ文字が浮かび上がると本物という仕組みになっており、
こっちが見ていてビックリした。そんな施しがチケットにされていたとは!?
噂ではこの日のダフ屋の最低チケット価格は円にして20万以上との事。恐ろしい・・・。
席に着くと、もう両サポーターの声が凄くて! 屋根の構造が原因だと思うけど、ガンガン響く!
歓声に乱暴に抱かれている感じ(笑)
選手入場ともなると・・・説明不能!
両ゴール裏はマスゲームにてビジュアル・サポート、ピッチには今回のキャッチコピー、
“theatre of football”の文字。
この目で、
ユーベが欧州を制する試合をしっかり見届けてやる! 歴史の1ページに立ち会うんだ!
そんな事を思い、開始の笛を聞いたのだが ―。
もう、ショック!!!!PK戦になった時は
ブッフォンがいる限り、もらった!と思ったけど、
ジーダもPKの名手だっての忘れてたよ。
放心、マジで放心・・・。
愛するクラブがこんな権威のある大会のファイナルでPK戦負けって、やりきれない・・・。
表彰式を待たずに1人ロッカールームへと去っていった、
ブッフォンの背中が今でも目に焼きついてる。
タブーとはいえ、思わずにはいられなかったよ、
ネドベドがいたら、と・・・。
スタジアムを出ると波のように疲れが押し寄せ、睡魔が襲った。
バス停で、バス内で、ガン寝状態(後日、うるっち~談より)。よっぽど気を張っていたんだろうな。
恐ろしいほどの神経戦だった。勝てばそんなの吹き飛んだだろ~な~・・・。
とにかくスタジアムを後にしてから翌日朝までの記憶がほとんどない。
ユーベが負けた、それだけが強烈に残っていた・・・。

<その他、旅行での出来事など>
・写真を見ていただければ判ると思うけど、オールド・トラフォードの屋根はピッチに向かって斜めになっている。
声が響く反面、自分のいる2階席では、
ひじょ~~~~に圧迫感を覚えた。 対面の観客席もゴール裏も見えない!! 視野を制限されている気がして苦痛だったよ。
・試合の翌日、マンチェスター空港でミラニスタの歓喜の歌を聴き続ける事に・・・。
ユーベを侮辱してるイタリア語くらい解るんだよ、こらぁ!と心の中で叫び続ける(笑)
・ミランの監督時代にスクデット経験のある“ザック”こと
アルベルト・ザッケローニに遭遇。
ミラニスタにより盛大な歓声を受け、それに笑顔で応えていた。非常に紳士的な匂いが漂っていた。
・マンチェスターからパリへ移動し、格安ホテルを決め寝床を確保。
その後2ヵ月半、パリでじっくりやりたい事があったので、アパート探しを開始。
3日後に交渉の末、フランス人とうるっち~の3人でシェアするかたちで、眺めのいいアパルトマンでの生活がスタート。
モンマルトル界隈のアパルトマン最上階で、円にして月16万の部屋。交渉の末、俺は月3万5千で成立。ラッキー&さんきゅ!
(写真はアパルトマン内と窓から撮ったもの。
サクレクール教会が見える部屋)
・同居人
ローランはすげ~いい奴で面白かった。仏語以外に、独語、英語、そして西語と伊語を少々話せる奴でとにかく明るい!
友達が大勢、しかも多彩で色んな人と交流が持てた。アフリカで活動しているNGOアメリカ人、ハーバード大の優男、
もの静かなドラマー、半月板損傷したナイスガイ、グラマ~なパリジェンヌ、ローランと“いい感じ”のイタリア女性、
世話好きなローラン・ママと寡黙なローラン・パパ、ロン毛のイケメン・エンジニアetc.
同じアパルトマンに住む日本人の画家にも料理をごちそうになったり、知り合った音大に通う子とお好み焼きパーティをしたり。
・コンフェデレーションズ・カップがフランスで開催され、内スタッド・ド・フランスで行われた6試合を全て観戦。
日本vsニュージーランドで、フランスを応援する際の”♪ アレー・レ・ブルー”という歌を、フランス人の子供たちが
“♪ アレー・ジャ~ポン”と歌っていて感激した。
フランスvs日本はパリ開催ではなかった為、ローランの友人宅にて観戦。
中村のFK炸裂後、アパルトマン内で日仏戦争勃発(最小規模)
トルコvsカメルーンでは、今までサッカーを観戦してきて最も怖い経験をした。
目の前を銃を持った何人もの・・・ 観戦した中で、
アンリ、
ジュリ、
ペドレッティ(以上フランス)、
エトー、
ソング、
エムバミ(以上カメルーン)、
そして
トゥンジャイ(トルコ)のプレーが印象的。
準決勝で試合中にカメルーンの
フォエが倒れ急死し、決勝戦はフォエに捧げる追悼試合となった。

・ちょうど
100周年を迎えたツール・ド・フランスの初日と最終日を観戦。
何故かメディアに取材を受ける。むしろこちらが質問し、知識を得る。
“LIVE STRONG”の黄色リングでもおなじみの
ルイス・アームストロングが大会5連覇!
運よくその場に居合わせることが出来た。
(翌04年に前人未踏の6連覇を達成!!)

・20以上もの美術館を訪れ、その中でも
“ギュスターヴ・モロー”という画家の作品に衝撃を受ける。
・この夏のフランスは
記録的超猛暑!!! 5時には日の出、23時に日没と陽が長いため辛い思いを・・・。
住んでいたアパルトマンは最上階で特に暑く(熱く)、睡眠不足に悩まされた。万単位で死者が出たとか・・・。
・フランスリーグ開幕戦、パリ・サンジェルマンvsバスティアを観戦。
“パルク・ド・プランス”はめちゃくちゃ観易い! が、試合はめちゃめちゃお寒い内容・・・。
(屋根の上にカメラマンがいるけど、大丈夫なんか? あのアングルからどんな風に見えるのか興味ある。笑)

この旅行の前にそれまでの3年弱勤めてた会社を辞めた。辞めるまでしゃかりきに?働いて金を貯めた。
その甲斐があるほど、もの凄く充実したパリでのアパルトマン生活だった。
帰国時、パリ市内から空港へ向かうバスで、とてつもない寂しさが自分を襲った。
こんな体験、もうなかなか出来ないだろ~な~、と ―。

一眼レフで撮った下っ手クソなモノクロ写真も、記録としてスキャンしてUP!っと。
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- 2005/05/15(日) 01:40:45|
- サッカー観戦旅行他|
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